先日、ひとつのことに思い至って、「あっ」と息を飲みました。
それは、前に書いた「歴史はなぜ繰り返すのか?」とか、「神はどこにいるか?」といった記事の延長線にある話なのですが、
どうして日本は、こんな、面積で言うとちっぽけな小国が、(それでも世界の人口の50分の1は日本人なんですが、それでもそのわずかな%の国が)世界にその品質の高さを轟かせる製品を輸出する国家になったのか、という疑問です。
その一つとして、ここで新説を唱えたいと思います。
それは、「その国の技術レベルは、信じる宗教を持たない人間の数に比例する(つまり無宗教論者が多い国ほど技術が発達する)」という、一見センセーショナルな考え方です。
どういうことかというと、無宗教論者というのは、何か困難に陥った時に、神や仏に助けを求めません。
逆に、宗教を持っている人は、何かあった時に、神にすがり、神に問い合わせを行う。
その違いが、全ての違いに繋がっていると思うのです。
例えば遠い昔、アルキメデスやアリストテレスといった鬼才を排出した古代ギリシア。この時代においては、どのような学問を行うにしても、必ず神の存在を意識したものでありました。
しかし、今では良く知られているように、神は新技術を開発してくれるわけではありません。マーケティングをしてくれるわけでもなければ、クレーム対応をしてくれるわけでもありません。国際政治をややこしくこそすれ、円滑にしてくれるわけでは決してありません。それらは、全て、人間が自らの頭で考えて答えを出し、行動を決定しなければなりません。
つまり、すでに神の出る幕はなくなってしまったのです。
例えば、何かシステムにトラブルがあった時に、神が助けてくれるでしょうか?バグが出た時に、「神様、どこが問題ですか?」そんな時間があれば、一つずつ変数の中身をチェックするべきでしょう。
もし精神的に辛いことがあるなら、何か楽しいことをしたり美味しいものを食べたりするか、あるいはまず初めに心療内科に行くべきでしょう。
つまり、我々は、心の中に神という存在を作り出す機能を備えておりながら、それと決別しなければならないのです。
自立するために、です。
昔は、自立するために神や仏が必要でした。一つのコミュニケーションの手段としても有益なものでした。しかし、今は違います。そこに答えを求めれば、だんだんうまく行かなくなっているのです。
そして、それはどんどん加速しています。
神の存在に疑問を抱いた科学技術者たちの間から、素晴らしい技術が生まれて行っています。
それは神に焦点を合わせるのをやめ、人間に焦点を合わせるようになったからです。
そして「顧客からスタート」し始めたからこそ、「人間にとって」評価され、広く利用される技術が生まれてきたのです。
何か問題や不足点や、まだ見出されていないニーズを探る時、私達は目の前の事実を直視しなければなりません。
その「直視する」という態度を取る時に、神のバイアスが、不利になるのです。その事実と人間だけを直視しなければならないのに、そうできなくなってしまうバイアスが、神にはあるように思うのです。
幸いなことに、無宗教の人間を多く抱えるこの日本では、そのバイアスが少なかった。だから、日本は技術大国に成り得たのです。
だから、分かりますか?
そういう意味では、日本はまだまだ大丈夫です。
PS.
ただし、実は中国の方が、神や仏なんてどーでもいいと思っている率が高いそうです。
そういう意味では、かなりヤバいです。
世界の人口の、5分の1が中国人ですからね・・・。