「人間は何でもできるが、全てをすることはできない」という格言があります。
全てをすることができないから、人間はコミュニティを作って役割分担をするわけですが、今回はこの「人間は何でもできる」というところに注目したいと思います。
一つの事に集中してかじりついて何年も何十年も努力すれば、人間は何にでもなれます。
これは、「努力できることが才能である」という格言にも表されています。しかし、全ての人間が十分な努力をできるわけではありません。
例えばイチローという人物がいます。彼は年俸十数億円を稼ぎ出すわけですが、(そしてそれは日本人の平均年収をわずか1日で稼いでしまう額でもあるわけですが、)誰も「イチローはずるい、貰いすぎだ」とは言いません。
それは、イチローが卓越した「努力」を、少年時代から今までずっと、続けてきたことを私たちが理解しているからです。
そして、こう思うわけです。「あそこまでの努力は、とても自分にはできない」と。
そこまでの努力を行い、そして成果を出す彼が受け取る年俸を、私たちは「フェアではない」とは思わないのです。それどころか、「彼はそれを受け取るのにふさわしい人物だ」とさえ思うのです。
努力とは何か?
それは現状を変えようとする意志が導き出すものです。
努力は、努力それだけで存在するのではありません。
努力が発揮されるその前に、「意欲」「モチベーション」というものが必ずあります。意欲があるから、努力ができるのです。
意欲の基盤の上に努力が成り立ちます。なにもないところから努力は生まれません。
最近、下流社会という本が話題になり、格差社会の表現の一つとして「下流」が言われるようになりました。
下流を形作るものの最たるものが何かといえば、それは「努力をしないこと」つまり「意欲の欠如」です。
「下流社会」の著者三浦展氏は、『下流人間は働いたり、勉強したり、結婚したりするエネルギーに乏しい。簡単に言えば、下流は面倒くさがりなのだ』と言っています。
※以下の記事がとても面白いので、ぜひ読んでみて下さい。
【なぜ下流おじさんほど、『デブ』になるのか】三浦展 by.プレジデント
ただ、面倒くささが諸悪の根源そのものだとは僕は思いません。面倒な気持ちは誰にでもあり、そしてそれはあって当然のものです。それをどう生かし、意欲につなげていくかというところが最も大事だと、僕は思います。
現状を打破するために、つまり努力をするために必要なのは、現状に不満を抱くことです。
現状に不満があれば、それを「なんとかしよう」とする意識が生まれます。
現状に満足しており、不満もなにもなければ、「今のままでいい」「何も変わらないでいい」。
不満が明確であれば、その反動として、不満を取り除こうという心の動きが自然発生します。それが、実際に行動を行わせるモチベーションになるのです。
行動するのは面倒なことです。でも、行動しないとより大きな面倒なことが改善されないのであれば、小さな面倒を選択し、大きな面倒を潰すことを人間は選ぶのです。
◆結論
努力するチカラを導くには、まず自分の中にある「不満」を見つけること。
その「不満」が、自分の人生にどんな悪影響を与えているか、どれだけの損失が発生しているかを明確にすること。
そして、その「不満を発生させる要素」がもしなくなれば、自分の人生がどのように向上するか、どれだけのメリットが発生するかを明確にすること。
ここまでやれば、何もしなくても行動したくなります。自分にハッパをかけるための計画など立てる必要すらなくなります。
◆補足
そうなると、間接的に必要な能力がいくつかあるということに気づきます。
①現状に疑問を抱き、「不満」に落とし込む能力
②不満を「どうでもいい」(下流の考え方)とするのではなく「なんとかしよう」(下流を抜け出す考え方)とする能力
③自分の立ち位置の高い低いを、(今いる小さなコミュニティ内での心地よい立ち位置ではなく)社会全体と照らし合わせて見極める能力
これをどう身に付けるかは、もう教育とか自助の分野になる気がします。ですが、人間にはもともとそういったことを学び取る素質が備わっていると信じています。