
彼はスーパーアルゴリズマーです。
なんと、5つも液晶ディスプレイを使い分けながら仕事をしています。(1つはiPhone)
マウスは、あまり見かけないトラックボール型です。
時々、ゴルフボールより2まわりぐらい大きなそのトラックボールを取り出しては、大事そうに拭いています。
彼のデスクの液晶が5つになるやいなや、さすが仕事のできる男は違うと、色んな人が見物に来ました。

彼はスーパーアルゴリズマーです。
なんと、5つも液晶ディスプレイを使い分けながら仕事をしています。(1つはiPhone)
マウスは、あまり見かけないトラックボール型です。
時々、ゴルフボールより2まわりぐらい大きなそのトラックボールを取り出しては、大事そうに拭いています。
彼のデスクの液晶が5つになるやいなや、さすが仕事のできる男は違うと、色んな人が見物に来ました。
年末、12月に、子供が生まれました。(出産、立ち会いました)

蒼太くんです。
ちっちゃいですね~。
.
今は、もう生後2ヶ月ぐらいなんで、ぷくぷく健康的に太っていってます。
このころはスリムだったなぁ・・・。
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なぜか、体の前面を下に向けて(つまり飛行機ぶいーん、みたいな感じの)だっこしてゆらしてあげないと泣く赤ちゃんになってます。
謎です。
なんでなん!?と、嫁に問いつめられました。
いやいや、そんなん俺に聞かれても・・・
でも、確かにそうしてあげると泣きやむんよねぇ・・・。
なんでかな。
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と、モフーらしくないブログを書いてみました。
自分が親バカになんてまさかならないだろうと今でも確信していますがね、ええ。
写真でひとことタイプの記事は、
色々と練りに練って書くブログより楽ですね。
今後はこれでいこうかな。
少し前に、テレビを買い換えました。
地デジ非対応の液晶テレビ&DVDレコーダーの組み合わせで使っていたのですが、テレビの画面が真っ白になったり戻ったりを繰り返すようになってしまったので、2011年7月(地デジ完全移行)も間近なことから、買い換えることにしました。
大学生の時に17万円で買った液晶テレビ、それを買うためにバチンコ屋でバイトを始めて、がんばって買った経緯がありましたので、ちょっとセンチメンタルな気分にもなりました。結果的に10年ほど使ったことになります。ただまぁTVが見れないと困るので、あっさり廃棄決定。
で、新しいTVを何にするか色々と迷ったのですが、
「東芝 LED REGZA 22RE1」+「外付け2TB HDD(BUFFALO HD-CB2.0TU2)」の組み合わせにしました。
古いDVDレコーダーは当然地デジ録画に対応していないので、何かTV番組を録画するレコーダーも買う必要がありました。が、東芝のTVであれば、外付けHDDを繋げばそれだけで録画機能を利用できるというメリットがありました。
Sonyトルネが便利という話もありますが、PS3を買うのは高いので、選択肢の中には入ってきません。
22型と、昨今で言うと小さい部類に入るのですが、前のTVも22型で、ワイド画面にはせずに利用してましたので、画面サイズは明らかに大きくなります。
ただ、今思えば26型ぐらいにしておいても良かったかなーとは思いました。2万円ぐらいの差なら・・・と。
でも、今見ると、「東芝 LED REGZA 22RE1」って価格.comで☆5つがついている超優秀な商品なんですね。実際、画面はめちゃめちゃ綺麗です。最新のLED液晶を使ってますので、満足感は高いです。録画機能部分の使い勝手はもう少し便利にできる気もしますが、十分使えてます。
2番組同時録画ができないのが惜しいところですが、そのうちちゃんとしたブルーレイレコーダーを買うしかないので、ここは仕方ない部分です。
HDDは2TBのものを買いましたが、3~4ヶ月経って、毎週録画番組10個以上登録して、まだ使用量25%ぐらいなので、全然大容量で困ってないです。
TV買い換えを考えていて、2番組同時録画がとりあえず必要ではないが録画はしたくて、かつ費用を抑えたい人は、東芝のTVがオススメです。
生きていると、色んなところで、頑張ることを求められます。
それは、学生の時でもそうですし、社会人になってからも、同じです。
多分、ほとんどの人はこれまで、色んなシーンで、懸命に頑張ってきたはずです。
中間・期末テストで頑張って、高校受験でも頑張って、大学受験でも頑張って、就職活動でも頑張って、頑張って、頑張ってきて、ずっと、頑張ってきたはずです。
そして、社会人になったら、それでは甘いと言われる。もっと、頑張ることを求められる。
「じゃあ、いつ休めるんだ?」と思ってしまうかもしれません。
「老後になるまで、ずっと、頑張り続けなければならないのか?」
こう思うのは、自然なことかもしれません。
それでも、誰も、20代の社会人に、「おまえは今までずっと頑張ってきたから、もういいよ。これからは、ゆっくり休め」とは言ってはくれません。
それは、なぜなのか?
その答えは、
そうやって「休みたい」とする自分とは相反する自分が、自分の中に、必ず存在するからです。
例えば、「誰かが頑張って素晴らしい成果を上げた」とします。
サッカー日本代表が、素晴らしい戦いを見せ、ベスト16を達成した。
日本が打ち上げた小惑星探査機が無事に宇宙から帰還した。
日本人選手が、オリンピックで金メダルを取った。
トヨタがGMを抜いて世界一の自動車販売台数になった。
ユニクロが不況にも関わらず過去最高益を叩き出した。
そうした時に、私達は、それに関心を寄せずにはいられなくなります。
その結果には必ず、不断の努力が介在しています。必死で頑張ることなしに、そういった成果は、決して成し得なかったはずです。
いくら自分自身「頑張りたくない」人でも、そういった上記のニュースを見て聞いて、それに対して、思わず食い入るように見てしまったり、心を動かされたり、胸を熱くしたり、涙することは大いにありえるのです。
つまり、他人が「頑張って、大きな成果を成し遂げる」ことに、拍手を惜しまない気持ちが誰にでも存在するということです。
「人間というものは、人が頑張ることを期待し、それを求める」
ということです。
ということは、頑張りたくない人は、
「人には頑張ることを期待するが、自分は頑張らない」
ということにになります。
自己矛盾なのです。
自分が頑張りたくないのなら、人にも頑張ることを求めてはいけない。
けれど、もしスポーツやビジネスで活躍する人をカッコイイと思うなら、自分もそうなれる可能性がある。
自分だって、拍手を受ける側になれる。
頑張っている人は、みんなそう思っています。
素晴らしい成果を残したい。
賞賛に値する仕事をしたい。
そうあれば、「頑張ること」は、苦しいことではなくなるのです。
「頑張ること」は、手段の1つにすぎなくなるのです。
もう1ヶ月も前になりますが、友達と4人で富士山に登頂してきました。
去年は8合目で暴風雨に巻き込まれ、登頂を断念せざるを得ませんでしたが、今回は無事頂上まで行けました。
しかも、ちゃんと本当の頂上の剣が峰(けんがみね、3776m)まで行ってきましたよ!
富士山という山は、7月中旬から8月下旬にかけて、昼間は非常に天候が安定するみたいです。ただし、夜になると一気に雲が出てきたり、雨が降りはじめたり・・・ということもあるみたいで、前回の時は完全にこれにやられました。
今回の登山計画は、パスで行ける5合目ですぐに山小屋に一晩泊まって、早朝4時から登り始めるというものでした。
これが大当たりで、昼の11時半にはひとまず10合目まで到着し、そこで昼飯を食べて、12時半には頂上(剣が峰)にたどり着けました。
8合目ぐらいからかなり酸素が薄くなって来て、9.5合目ぐらいからはちょっと登っただけで息が切れてしまう、というような状況におちいりましたが、天候さえ良ければすんなり登れてしまうみたいです。
富士山はずっと晴れで、すごくいい登山になりました。










太陽系を構成する星の1つに、地球という星がある。
そこには、あるユニークな国が存在する。
その国は、高い社会インフラを持ち、高い識字率を誇り、あまり高いとは言えない政治性を備えている。
地球上で3番目に平和な国と言われているが、国民はその平和に合わせてのんびりしている、というわけでは決してない。
というのは、地球上で最も多く貿易されている資源の1位2位である「石油」と「コーヒー豆」が、その国からは産出されないからである。
その国では、つまり生の資源を輸出することによる収益に頼ることができない。中東と呼ばれる地域では、ただ石油採掘施設さえ作れば、あとは国民が国からの補助で遊んでいても生活をすることができるというメリットがあったが、このユニークな国では、そういう楽をすることができなかったのである。
そこで、その国が取った国を富ませる手段とは、原材料を加工して、より価値のある製品に仕立て上げ、それを別の国に輸出するという商売である。
その国は、20世紀と呼ばれた時代に、主流とされた地下資源がなかったことから、技術力を高めざるを得なかった背景がある。事実、1番目と2番目に平和な国よりも圧倒的な技術力を誇るに至り、結果、経済的な成功を成し遂げている。
その技術力の平均値は、他国を圧倒的に抜き去り、地球上に存在する国のお手本となっている。自国内のサービスレベルも非常に高い。ヨーロッパの国でよくある例で言えば、例えばレンタルDVDが、1本600円、1泊2日で2本までしか借りられない。
方や、このユニークな国では、1本100円で7泊8日もレンタルできてしまう。レンタル本数制限も2本なんて店はない。10本ぐらいまとめてかりることだってできてしまう。客の質の良さにもその原因があるのかもしれない。
そして、その技術力・商売力は、何も工業生産やサービスレベルだけにはとどまらなかった。
生産技術からの応用になるのかは未だ不明だが、その国の「マンガ」「アニメ」といった作品が、あまりにも優れていると評価され、地球中の人類の心をわしづかみにしている。
「アフリカ」と呼ばれる紛争の絶えない地域には、ただ「ドラゴンボール」というアニメだけを楽しみにしている少年たちがいるという。
このユニークな国は、地球上に価値を生み出すとともに、希望を作っているとも言える。
それは、地下にたまたまあった資源をただ掘り出して売るというだけの活動ではなく、無から有を生み出すということはどういうことか、という「人間の可能性」を訴えかけさえするものであるように感じる。
このユニークな国は、生活面においても、地球中から注目を浴びている。フランスと呼ばれるファッションの源泉国とも言える国からの、そのユニークな国への留学生は、留学が終わった後、自分の国には帰りたくないと言うそうだ。
フランスと言えば、お洒落な街としてのイメージが強く、子供手当も充実しているなど、政策的にも優れた点を多く伝え聞くが、一転、フランスの若年層の雇用は非常に厳しいという面がある。何についても、表裏はある。そして、そのどちらをも見たフランスの学生が選びたいと思うのは、自国ではないと言う。これは驚きである。
ところで、そのユニークな国の恩恵を預かるには、その国に住まなければならないのだろうか?
いや、そんなことはない。
今や地球上であれば、どこにいてもそのユニークな国の良い影響を受けることができる。なぜなら、前述したアフリカの少年は、すでにその恩恵を受けているではないか。
その高いサービスレベル、製品を作る力、顧客の想いを形にする力は、今や地球上どこにいても、影響を受けてしまうレベルにある。
たとえ、その国と一切関わり合いになりたくないと思ったとしても!
その国に住んでも良し、住まずに別の国からその国を眺めても良し、どこにいても、その国の素晴らしさを、身をもって感じることができる。
そんな奇跡のような国が、地球という星に存在することを、知ってもらえれば、と思う。
ドリームインキュベータ代表の堀紘一氏の著書「人と違うことをやれ!」(PHP文庫)に、示唆に富む言葉があったので引用させて頂きたいと思います。
信頼はなぜ大切なのか? 信頼を得るメリットとは何か?
それらが非常に分かりやすい言葉で説明されています。
◆足りない「能力」は補えるが、「信頼」は補えない (165ページ)
上の人間が下の人間に仕事を与えようとする時、その相手が社内であれ社外であれ、どういうことを考えるか? 最終的に自分が責任をとらなければならない仕事の実務をすべて委ねるわけだから、「自分が思っているようなレベルの仕事をちゃんとしてくれるのだろうな」とまず考える。
ひと昔前の余裕のある時代であれば、能力的に多少劣っていても、日頃から自分にゴマをすったり同じ学校の後輩だったりする人間を引き立てるようなことが多かったかもしれないが、もはやそんな余裕は会社にも上司にもない。だから、その信頼には第一義的に「絶対にこの仕事を成功させてくれる」という能力的裏付けが求められる。
といって、ここが難しいところだが、能力があってもむらっ気があったりいい加減な性格の奴だということになれば、これは心配になる。逆に、非常に誠意があって約束事をよく守り一生懸命にやる人間なら、仮にいい加減な性格の人よりも能力が多少は劣っていたとしても、「ウン、あいつは人間的に信頼できるから任せよう」ということになる。
「こういう能力が少し足りないな」という部分については、その足りない部分を補う部下を下につけてやるとか、外部の会社に発注する場合にはその会社だけではなく他の会社に協力させるとかして、不足している能力を補充することができるからだ。だが、信頼に関しては不足を補充することは絶対にできないのである。
信頼を得るというのは一朝一夕にしてできることではない。大きな仕事を前にして、どんなににわかに取り繕ってももう正体は見破られてしまっている。長い間の地道な努力の積み重ねがあってはじめて評価され、信頼されるようになるのである。その評価にしても、そう簡単には上がらない。逆に落ちるときには一気に落ちて、それを取り返すには何倍もの努力と時間が必要になる。
では、常日頃の地道な努力とはいったいどういうものなのだろうか? より具体的に言えば、日頃の細ごまとしたつまらない仕事でもきちんとやっておけということである。誰だって、脚光を浴びるような大きな仕事には飛びつく。その仕事を成功させれば信頼されるようになるし、出世への大きなステップとなると考える。だが、実は信頼されるされないはすでにその前に決まっているのだ。日頃、つまらない仕事を頼んだ時にも、嫌な顔一つせず手を抜かないできちんと片づけてくれたかということから決まってくる。
だから、本当に大きな仕事の指名を受けようと思うのなら、その前にやらされるくだらない仕事をしっかりコツコツとこなしておかなければならないわけである。物事にはそういう順番がある。
要は、何事も自分の側の都合から考えるな、ということである。自分の能力や能力を磨いているということに自信を持っていると、つまらない仕事を与えられたりすると、つい「こんなくだらない仕事はお茶を濁しておけばよい。もっと大きな仕事がきたら一生懸命にやればいい」と考えがちになる。私が見る限り、最近の若いサラリーマンの中には、能力のあるなしに関係なくこう考える人間が多い。
だが、それはまったく自分勝手な考え方としか言いようがない。仕事を与える側からすれば、「そんな身勝手な奴に仕事を任せられるか」ということになる。本当に優秀で頭がいい人間なら、そこまで頭が回るはずだ。自分が発注する立場だったらどうするか、そこを考えてみる必要がある。
だから、サラリーマンをやっていくにしても商売をやっていくにしても、人間というのは、生き残っていくためにはまず何よりも信頼がベースなのだということを肝に銘じておかないとダメなのだ。
独りよがりでは、この厳しいビジネス社会の”ジャングルの掟”の中で生きてはいけない。
「大きな仕事ならきっちりやる」という人間に対して、それを指示する方から見ると、「小さな仕事すらきっちりできない人間が、大きな仕事をやり遂げられるわけがない」となるのは当然のことだと思います。
堀紘一氏は、この本以外にも、人とは違った目線で書かれた良書を数多く出版されています。
さて、ここんとこずーっと続けている英語ですが、2010/3/14にTOIEC試験を受けてきました。
で、その結果が4月半ばにやってきたんですが、これがまぁ予想外に散々な結果でしたので一応ご報告を。
どどん、と。

ほっほう。
まぁ、最悪ですね。勉強やってなくてもこのぐらい取れそうです。適当にマークシートを埋めた点数と何ら変わらない。
ひどいもんです。
ただ、試験の時に全く手応えはなかったので、いたしかたありません。これが自分の実力だということです。
試験の直前に「狼と香辛料」という小説にハマって、試験が始まる5分前まで第2巻のクライマックス部分を読んでいたのが悪かったのかもしれません。
この点数を見て、「そりゃそうだよ、そんなに甘くねーよ」とほくそ笑む方もいらっしゃるかもしれません。
でも、これを公開したのは、もっと頑張らないといけないな、と思ったからです。
これは、僕のスタートラインなんです。
もちろん英語の勉強を3~4ヶ月やってのこの点数ですけどね。でも、ここに銘打たれている2010/03/14という数字と点数は、この後順調に点数を伸ばしていければ、面白い成長の証になるんじゃないかと期待が持てます。
ちなみにね、はっきり言って、人間の作り上げたもので、習得のできないものなんてないんですよ。
2000時間費やせば習得できるのであれば、そうすればいいだけです。
頑張らなくては、とは書きましたが、やればやるほど身に付いてきて理解できるようになっているのは自分で感じます。
あとはさらに、徹底的に、プライベート時間を英語に投入していくか、ということですね。
最近、決定的に理解が進む文法書を見つけたので、またの機会にシェアしたいと思います。
◆大学時代の経験
僕は、大学生の頃、大学を盛り上げることを主な目的としているサークルに入っていました。
で、サークル内での最上回生になったときに、活動の内容が毎年同じで、マンネリ化していた状況を打破したいと思って、みんなで新しい取り組みをやったりと、色々ハードではありましたが面白く活動をしていました。
そのサークルの中で、いくつかチームが別れており、僕の所属していたチームに、非常に手のかかる後輩が2名いました。チーム内に僕の同級生も何人かいましたので、同じくその後輩が育たないことに、悩んでいました。
そして結局、その後輩は特にめざましい成長を遂げることもなく、最上回生をバトンタッチすることになりました。
その時の経験から、僕は「人を変えることはできない」と思うようになりました。
自分を変えられるのは自分だけで、そもそも人が誰かを「変えよう」とするのはおこがましいことだ、と。
そもそも、その人は変わることを望んでいないかもしれない。
だいたい、自分自身を変えることすら難しいのに、人を変えることなんて、絶対に無理だ、と。
その考え方は、その考え方に至る別の考え方が、ベースにありました。
それは、「自分自身を変えることはできない」というものでした。
簡単に言うと、その当時、僕は自分に全く自信がありませんでした。
「自信のない自分を、自信のある自分に変えることすらできない。だから、人を変えることなんてできない」
そう思っていました。
そして、それはとても正しいことのように思えました。
でも、そこから何年も経って、紆余曲折あって、僕は少しは自分に自信が持てるようになりました。
何があったのか?
◆一つの言葉との出会い
ある一つの言葉との出会いが大きく運命を変えました。
「性格は変わらない。でも、行動は変えられる」
自分に自信が持てる持てないというのは、結局は「自分はどんな行動ができる人間なのか」というところに帰結すると思います。
自信が持てない人間が感じる「自分はダメな人間だ」という思い、その真意は、「自分はダメな行動しかできない人間だ」ということです。
そしてそれは「自分は人前で満足に思ったことを喋ることができない人間だ」だったりしますし、それは、根本的には「自分は人前で話すことを何も持っていない人間だ」という自分自身への失望感だったりします。
「性格は変わらない。でも、行動は変えられる」というこの言葉に出会って僕がやったことは、自分がしたいことを、面倒くさがらず、一つ一つやってみたことです。色々と、やってみたことです。色々と、やりたいことを全部やってみたことです。それだけです。本当にそれだけです。
そうして面倒くさくて何もやっていなかった人間が、多少面倒くさくてもやりたいことを少しずつ、ちゃんと行動できるようになると、やりたいことすらそんなになかったはずなのに、やりたいことが色々とできてきて、しかもそれをちゃんと実行できる人間に変わっていきました。そして、それに応じて、考え方が変わってきました。
「自分だけは、変えることができる」
それは、「他人を変えることはできないけれども、自分だけは変えることができる」という考え方でした。
そうなるまでに膨大な時間と試行錯誤が必要でしたが、一旦「自分は自分で変えていけるんだ」という考え方になってみると、色んな不幸や幸運が、自分原因論で起こっていることが理解できるようになってきました。
例えば、「幸せになりたい」という人がいれば、僕は、そうすればいいと思うんですよ。
「幸せになりたければ、幸せになればいい」
「デザイナーになりたければ、デザイナーになればいい」
「英語をマスターしたければ、英語をマスターすればいい」
さっさとゴールを決めて、やるべきことをやっていけばいいと思うんです。
「どうして自分は幸せになれないんだろう」ではなく、「何をすれば自分は幸せになれるだろうか」です。自分が何に幸福を感じ、何に不幸を感じるかを分析して、幸福をもたらす原因を増やし、不幸をもたらす原因を排除すればいいと思うんです。
もし、途中で挫折してしまうのであれば、本気じゃなかったってことです。
「目標を成し遂げるための苦労なんてしたくない」という気持ちの方が強いということです。当然、それでは何も達成できません。
あるいは、何かやりかたが間違っているのかもしれません。
挫折は、自分自身からの良心的な警告です。気持ち、もしくはやり方に問題ありということを教えてくれています。
◆人は、変えられるか?
で、そう思うようになって、既に何年かが経ちました。
その何年かの間に、かつて、あの大学時代に、自分にできることは他に何かなかったのか、というところに何回も考えが戻りました。
「本当に、他人(後輩)を変えることはできないのか?」
その当時のサークルの同級生とは今も友達ですので、時にはそういう話になることもあります。
その度に、「やっぱり人を変えることはできない。人は自分で自分を変えることしかできない」という答えが導き出されました。
それは、今でも変わっていません。
人が、人を直接的に変えることはできません。
それも仕方ないか、と、そう思ってきました。
ところが、まさにこの記事を書きながら、ある事に気付きました。(これは、当初思い描いていたこの記事の結論とは違います。元々この記事は、結論にふさわしい答えが一向に見つからなかったため、お蔵入りにする予定でした)
答えは、全く違うエリアにあったのです。
それは、「環境を変える」ということに近い結論です。
人は環境によって変わります。少し古い話ですが、日産にカルロス・ゴーンが社長としてやってきて、V字回復を成し遂げました。
それは、彼によって、職場環境が変わったからです。
もっと言うと、環境というより、システム(ルール)が変わったからです。
人は、誰か人によって変わることはないけれども、システム(ルール)に合わせて変わることはあるんです。
今までは「目立つような仕事ぶりを発揮する方が逆にマイナス評価」だったシステムが、「仕事ぶりを絶対評価でちゃんと見て待遇に繋げてもらえる」システムに変われば、当然、自分のメリットを考えて行動が変わります。
人は人を変えることはできないけれども、人はシステムを変えることができる。システムが変われば、人が変わる。
ただし、結局、この場合でも、変わろうとするのは自分自身であって、システム(ルール)変更にはその強制力がある、ということです。
そういう意味では、
「やっぱり人を変えることはできない。人は自分で自分を変えることしかできない」
その事実から、1ミリも離れることはできないのです。